<ヒマラヤンTAK富士山アタックレポート>
富士山頂よりフライトに成功
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8月1日
富士山本宮浅間大社での安全祈願と成功祈願 |
TAKさんこと只野直孝氏(JPA会長)は、今年60歳を向かえ思い立つことが一つあった。還暦の記念に、昔ハンググライダーで日本初のフライトに成功した富士山から、パラグライダーで再び飛ぶということであった。当然、パラグライダーは自力で担ぎ上げフライトするのでなければ飛ぶ意味が無い、そのためには十分な準備と体力トレーニングが必要だと考えて、今年始めから愛機のイエティーを担いで早朝の岩屋登山フライトを開始、風の穏やかな日にはパラを担いでの登山が日課となったのでした。
フライト決行日に向けて関係省庁や地元浅間神社への許可を、地元中村氏の協力でクリアーし、富士宮観光協会後援も取得、すべての条件がそろって後は天候を待つのみとなった。フライトに一番適した季節は夏、梅雨明けの1-2週間の間だけは風速が弱まり飛行が可能になるのだ。今回の決定にはエアパークCooの高橋気象予報士に委ねられて、8月2、3日に決定される。
フライトチームは、TAK隊長、正一郎タンデムパイロット、曽我部ビデオ空中撮影、中村ビデオカメラマン、長島写真撮影、荷揚げサポートののんちゃんの6名、地上サポートは半谷、中村、克平さんらがはいり、万全の体制でスタートした。
2日初日の早朝に富士宮登山口に集合したチームは、成功を目指して登山開始、フライト装備一式を背負って4時間のクライミング、TAKは還暦をまったく感じさせない健脚振りを発揮して、余裕で登頂。途中ではギャグ100連発を繰り出し、サポート隊の緊張を自ら和ませる余裕を見せるほどである。一例を「いやー雲海が綺麗だけど飛ぶのには、くもったなー」など等、砂礫に沈む足を滑らせるには十分な威力を発揮していたのだ。ヒマラヤンTAK恐るべし、8000m峰でも同じように滑っていたら、命がいくつあっても足りなさそうである。 |
山頂についた一行はお参りを済ませて、早速テイクオフ場所のチェック開始、西向きの雷岩近くの斜面を第一候補地として決定、25年前にハングライダーでスタートした思い出の場所である。夕方まで風を待つが、雲海が切れることも無く、本日のフライトは中止して明朝にチャンスを待つことにする。 |
翌3日、早朝から山頂は青空、2000m付近に雲海はあるが薄そうである。日の出とともに速攻でテイクオフ予定地へ移動、雲海の合間から毛無山は見えている、風はフォローであるが弱いので無風を捕まえることにし、準備開始。ランディング予定地を農大牧草地として地上サポートと連絡を取り合う。
5時51分、フォローが止まりアゲインストが入り始める。この一瞬を逃すまいとTAKはすかさずライズアップをし、一瞬のうちにテイクオフ、朝焼けに染まる富士山を従えて雲の彼方目指して、飛び立ったのである。すかさずビデオ班もテイクオフ、正一郎、曽我部コンビも快心のテイクオフ、とてもここが3700mの高度とは思えないスタートでした。
雲海に覆われつつある朝霧高原を目指して2機の機体の美しさは、何者にも変えがたい感動の場面であります。長島も遅れまいと準備をしますが、当然風はサイドフォローに戻っています、運の強さの違いを見せ付けられたひと時です。めげずに立ち上げて急斜面をひたすら走ってなんとか足が浮きました。前方の2機を追いますが、朝霧高原が深い雲に覆われてきています。途中、TAKの判断で雲の無い河口湖方面へ90度方向転換、すばやい状況判断と決定はさすがです。 |
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雲の上を飛ぶこと30分、なるさわ総合運動場にランディング地点を決定し、雲の合間を高度処理していきます。地上は南風が強く入り、雲底も200mほどでもう少しで雲に覆われる状態です。有視界飛行が基本ですから、しっかりスパイラルで高度を落として、無事に公園へランディング完了。TAKの還暦チャレンジは見事に成功したのでした。お祝いのシャンペンの美味しかったことはいうまでもありません。
いつまでもチャレンジ精神旺盛なTAKの、生命エネルギーを一杯吸収できた2日間でした。 |
広報事業部長 長島 信一 記 |
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