2012立山らいちょうバレーカップ 大会レポート(その1)

今年も9月の3連休に設定された「2012立山らいちょうバレーカップ」。過去3年も同じ時期に開催され「何とか成立してきた」と言うのが大会を主催し運営してきた主催者やスタッフの偽らざる気持ちだった。大会レポートの前に過去3年の結果を振り返ってみると

 

2009年・・・Task1 34.2Km Goal者なし TOPは18.6Km

        Task2 41.6Km Goal者なし TOPは37.7Km 

2010年・・・Task1 44.7Km Goal者なし TOPは22.0Km

2011年・・・Task1 32.4Km Goal者なし TOPは25.5Km

 

と言った具合で、ナショナルリーグではゴール者なしのタスクばかり。しかも、その全ての大会では立山らしからぬコンディションにぶつかってしまい、「本当の立山」での競技が出来ない大会が続いていた。それ故主催者やスタッフが願うのは「普通のコンディションでいい・・・」と言う一点のみに。 そんな私たちの願いをあざ笑うかのように週間天気予報は曇りとも雨ともつかぬ微妙な予報と、北陸付近をかすめるかの様な前線を描いた予想天気図。「またしても・・・」と言う思いがよぎったのは言うまでもありませんでした。

大会初日

勢力を強めた太平洋高気圧、台風、前線と言う微妙なバランスの中で大会当日を迎え、気象条件的には初日が最もコンディションが安定する可能性が高いはずでした。

ナショナルリーグ56名、併催された「チャレンジ立山」が25名。総勢81名の選手が立山に集い、受付を終えた選手はGPSダウンロードを済ませると手慣れた様にゴンドラに乗って極楽坂テイクオフへ移動。そして、ナショナルの選手は思い思いの場所に自分の愛機をセッティングし始め、それは時間と共に機体の花がゲレンデに咲くが如くテイクオフを埋め尽くして行く。この光景がまさに「立山らしさ」と言えるでしょう。

9時30分からはテイクオフにおいて開会式。実行委員長のJMB立山パラグライダースクール関沢校長から開会の挨拶とローカルルールの説明。地元電力会社から送電線に関する注意事項説明。今大会の競技委員長である扇澤氏からはジェネラルブリーフィングと続き、最後は「立山エリアが初めて」と言う選手(主にチャレンジリーグ)向けに、「20年ここで飛んでいる!!」と豪語した私(藤野)によるエリア攻略講座を開催し、コンディションが整うのを待つことになりました。


 



ナショナルの選手たちにとっては、昨年のタスク「対岸と美女平の往復」がかなり強烈に残っているらしく、タスクコミッティでも「対岸と美女の往復レグは避けたい」と言う意見を尊重し、初日のタスクは次の様なものとなりました。

D32-B04-B05-B02-B04-B05-B16-B04-B13-B16-B04-B13-A52 40.2Km

対岸のB16は三角コースの一つとして扱い、強制的に対岸を往復するようなコースとならないように設定。

 

一方、チャレンジリーグでは最終パイロンで美女平を使うかどうかを協議したが、「立山に来たら美女平へ行って欲しい」と言う私たちの思いを反映して次のタスクを設定。

D32-B03-D31-B04-B29-B28-B04-B02-B27-B03-B05-B13-A52 27.4Km

エリア内の三角コースを徐々に広げ、それをクリアした選手は安全のために設けられたゴンドラ山頂駅B05 をクリアしてB13美女平へ渡り、ファイナルグライドでA52山野グラウンドへゴールするチャレンジリーグとしては豪快なもの。

 

尾根上の南風が落ち着き、テイクオフには順風が吹き始める。ナショナルリーグが12時ウィンドウオープン、12時30分デパーチャーオープンのスケジュールで選手がスタート。しかし、ウィンドウオープン後わずか数分で状況が一変。先ほどまでジリジリと私たちを照らしていた太陽が、南から発達する雲に遮られエリア内の日照は断たれてしまう。半数弱の選手がテイクオフを完了しており、ここからサバイバルが繰り広げられることになる。日射のない稜線付近を諦めて、まだ日射の残るランディングを含む沖に向かって僅かなリフトにしがみつき、生き残ろうと持てる全ての技術や感覚を使い機体を操縦する様はナショナルリーグにふさわしい見応えのある光景でした。あまりの渋さ故にテイクオフを一時的にクローズしたことにより、テイクオフからその光景を見ていたナショナルの選手達自身が「凄い!さすがナショナル!!」と言わしめたサバイバルでした。

この状況は、またしても立山としては「普通」とは言い難い条件で、結果的には選手の技術によって数名が生き残ることに成功してレースを続行。再びオープンされたテイクオフからも選手が真っ直ぐランディング方向へ飛びリフトを掴んで上昇、レースを進めると言う奇妙な光景ではあるものの、雲が発達してタスクストップのコールがかかるまで飛び続けた選手達に支えられての「タスク成立」であったと言っても過言ではないでしょう。

この日、トップはサバイバルを凌いだ正木選手を始めとして岩沢、藤川、吉田、隅、高杉らの選手達が距離を伸ばしたのです。

 

チャレンジリーグは、タスク内のB04をB03に変更し、更に最後の美女平B13をB24粟巣野に変更してレースを開始したものの時既に遅く、タスクストップ時点でミニマム距離を飛んだ選手は存在せず不成立となってしまったのです。

しかし、タスクストップの判断は絶妙だった。全選手が安全にランディングし、パッキングを終えて帰着申告も全て完了した頃合いになってから雨が降ると言う先を読んでいたかのようなオペレーションに、表向きは「当然」と言うべきでしょうが、個人的には「脱帽」の的確さだった。改めてこの素晴らしい安全管理の下で大会に参加出来ることに感謝の意を表したいと思います。

 

いつも思うことですが、飛べた後のBBQは盛り上がります。選手の顔も結果はどうあれ満足感がにじみ出て、その表情を見るだけでスタッフは疲れが癒されたに違いありません。


~大会レポート(その2)へつづく~