第10回 JPAパラグライダーカップin富士山

レポート 鈴村恵司(競技委員)

もちろん一年中飛べるのだが、冬のエリアとして強調される朝霧エリア。12月を過ぎ1月ともなると常連たちがその年の総括を始める。今年の評判は「飛べても渋い日が多いねぇ」と残念ながら芳しくない。
そんな中、2013シーズン開幕となる初日に54km設定のタスクが成立し、二日目もタスクストップとなるものの多くの選手はテイクオフ出来ていて(つまり飛べてうれしいってこと)、まぁ天気運には恵まれた方だったのだろう。なにより良かったのは二日間とも雲が少なく富士山がずっときれいだったことだ。

初日のタスクで1000点トップとなったのは只野正一郎選手。古豪が最新鋭機での参戦だ。この人、今年の夏場は例のヨーロッパアルプス越えのエクストリームレースに参加予定とか。今、体を鍛えつつ、コンペ感覚を取り戻そうとしている真っ最中というところか。

※大会の流れはPHOTO アルバムとともに参照ください。

【1月19日】
この日がJPAパラグライダー競技の2013シーズン開幕日である。開会式は大会本部の富士山YMCAで落ち着いた雰囲気で行われた。咋シーズンの男女トップのゼッケン1番(当然ですね。)の高杉選手と10番の水沼選手が選手宣誓。ゲストのGIN gliders のジンさんの挨拶は、今後のコンペ様式の変化にも及んだ。こちらは、ゆっくり和訳してもらって、後程チェックすることとしよう。

週の始めに降った雪に車が少し阻まれつつも選手はテイクオフへ集合し、タスクブリーフィングを経てウィンドウオープンは11:00となった。デパーチャーオープン11:40のゴールレース。タスクは以下となった。


B33アンテナとB06モチヤのクリアが難しいが稜線移動はハイウェイが働くはずというタスクコミッティの読みである。雲底予報は1200m+αと低めであったがウィンドダミーは稜線上を移動し始めている。

雪は選手のテイクオフにも影響を与えた。待ち位置からグライダーを広げるところまでの移動が、そもそも大変。重い装備でそれなりの斜度の雪の坂道を横切る。選手テイクオフの ペースはいつもよりゆっくりしたものとなる。この日の実フライト選手は52名。大半はデパーチャーオープンに間に合ったものの遅れた選手も若干いたようだ。

朝霧で速く飛ぶコツ。それは"回さないこと"に尽きる。朝霧ハイウェイと呼ばれる稜線上のリフト帯を活用して少々低空になっても突き進み、本当に強いサーマルを選んで短時間で高度を回復させる。もちろんこれは通常の競技フライトでも真理である。
そしてもうひとつ、朝霧でゴールするコツは"我慢すること"である。この日のタスクのポイントは沖ターンポイント(T.P)のB33アンテナとB06モチヤをどうこなすかに掛かっている。これらのT.Pに向かうのに上げきらない状態や、ひどく遠くからのアプローチをしないことだ。その時、その状態が来るまで"我慢する"。総括すればこの日にゴール出来なかった選手は"我慢すること"が出来なかったのだと思う。(筆者もその一人というのが悲しい。)
ランディングした選手達の最高高度のレポート結果は口をそろえて1800m。沖T.Pからリターンしてとりつくべき陣馬の尾根の先端では900mの高度は欲しい。
例えばB15天子T.PとB06モチヤの距離は5.9km、B06とB20陣馬の距離は2.4km、シリンダ半径0.4km×2を差し引けば8.3km。使える高度が1800m-900mなのでL/Dは8.3/0.9で8.3が必要となる。これが長者からなら(5.1+2.4-0.8)/0.9=7.4。鉄塔からなら(4.3+2.4-0.8)/0.9=6.6である。ブレーク操作なしならL/D10を越える現在のグライダーといえども横風に流されるのを修正しピッチ挙動を抑える動作の必要な実際のグライドでL/D8.0を越えさせるのは難しい。
この夜のパーティーでは上位選手のフライトログをみんなで見た。驚いたことに高滑空比のグライダーを使うこの日2位の隅選手ですらB06モチヤは鉄塔からのアプローチで最短距離のルートを使用していた。焦って長者や天子からモチヤに向かって降りてしまった諸君。あるいは高度1700mで上げきらずにモチヤに向かった諸君。反省しよう。
しかしだ、そのログで判ったことが他にもある。トップの只野選手もモチヤを長者1800mからアプローチして低くなりすぎ、モチヤから南西方向への陣馬へのリターンをあきらめ北西側の反射板に流れて上げなおすことで遠回りをしている。さらに隅選手も白糸をセーフティパイロンとしたファイナルグライドで方向を間違えふらついて追いかけてきた只野選手に抜かれている。
そう、トップグループを形成する選手でもミスはするのだ。惜しくもゴールに届かなかった選手の皆さん、彼らとの違いはリザルトに出ている得点差ほど大きくはない。あなたが集中できる時間をあと30分延長出来て“我慢”できるようになればきっと彼らの背中は見えてくる。さらに研鑽を積めばきっとトップグループに入ることも可能であろう。


この日のゴール者は21名。トップ4名のタイム差は2分ちょっとの競り合いとなった。トップゴールの只野選手は1000点満点。前述した反射板でのスタックはレース終盤ということもありリードアウトポイント(L.O得点)の低下には影響しなかったようだ。


TASK1のトップ6


第10回の記念大会ということで「まかいの牧場」でパーティが開催された。今年もテイクオフを貸してくださった西富士友の会の河合会長による乾杯後のフライトログの上映(?)には選手の吉田和博氏にご協力を頂いた。感謝。
このパーティでさらに特筆すべきことがある。その料理の量だ。競技者たるもの何事にも負けることには納得がいかない。したがってパラのパーティでバイキング式の場合、出された料理は次々と選手に奪われセンターテーブルは淋しくなるのが通常の光景となる。しかし、この日は違った。料理は十全でパーティ終了まで続き、デザートに至っては余っていたことが目撃されている。これは実はすごいことなのだ。とても幸せなパーティであった。

【1月20日】
天気予報的には19日よりも良いように思えた。しかし今年の朝霧だ、一抹の不安は残っていた。猪の頭で上げた他エリアのフライヤーが稜線に向かう速度が遅い。上空の西風が強いようだ。ウィンドダミーも含めて、稜線上に数機が上がったもののどうも素晴らしいコンディションになるようには思えない。万一稜線上が使えない状況でもこなしやすいタスクを組んでウインドウオープン。しかしテイクした選手達は西風に押されて、ガーグルを徐々に東側にずらして行くことになる。猪の頭上空は西風リーサイドの吹き上がりでちょっと激しいリフト帯となっている。やがて猪の頭にも西風の吹きおろしが届き、次々ランディングする選手達。ランディングの風が怪しくなってきたタイミングでデパーチャーオープン時刻前に扇澤競技委員長がタスクストップを宣言。実質のタスクキャンセルのコールとなる。その時、西富士テイクは北風のフォロー状態だったそうである。

地元のフライヤーばかりでなく、茨城、石川、愛媛、遠方から多くのパラフライヤーがスタッフとしても応援に駆け付けてくれた。フライト後の選手には二日間に渡ってキリタンポが振る舞われた。富士山はずっときれいな姿を見せてくれていた。気持ちの良い二日間であった。
正直、50数名のエントリー者数はちょっと淋しい、と言うか朝霧エリアを使うことに対してちょっともったいない感じだった。次は3月のCOOクロカンカップである。その地では「こんにちは」だけでなく、「お久しぶり」や「初めまして」の挨拶が多くかわされ、もっと多くの選手が集まることを願っている。